4月末に実家の犬が死んでしまった。
11歳半だった。
お嬢さん(わたしは実家の犬をこう呼んでいた)は、病気がちで毎日4種類以上の薬を飲んでいたし、実家に帰るたびに小さく細くなっている気がしていた。
でも、なんとなく、まだ生きるだろうまだ生きるだろう、そう思って(そう思い込もうとして)(あるいはそう祈って)、5月に予定していた引っ越しもペット可のアパートを借りた。
実家の母に何かあったら犬を連れてこよう、そう思ってペット可の賃貸を探し回った。
実家の犬が死んだという知らせから2時間後の新幹線に乗った。
最速で実家には夕方5時には着くはずだった。
しかし、新幹線が異臭騒ぎで途中で運休になってしまった。
軽井沢で新幹線から降ろされ、次の新幹線に乗ったが、当然ながら席はないので、デッキでキャリーバッグに腰掛け、ただぼんやりと何も考えないように窓の外を見ていた。
東京駅には1時間半以上の遅れで到着。
中央線も人身事故でダイヤが乱れていた。
なんとか乗り継ぎを重ね実家の最寄りに着くころには、空は真っ暗になっていた。
実家に帰ると、いつも犬が寝ていた犬用ベッドの置いてあったあたりに段ボールがおいてあった。
段ボールには白い布。
それを外すと、お嬢さんが横たわっていた。
お嬢さんは目が大きな犬種だったので、うまく瞳を閉じてやることができなかったらしく真っ黒いビー玉のような目が見えた。
お嬢さんの頭を撫でるとひんやりとしていて、その冷たさでお嬢さんが死んだということが現実として降ってきたような感覚になった。
お嬢さんは翌日ペット斎場で火葬になった。
身体が硬直していたので、最期に着ていた服もそのままで炉に入っていった。
お嬢さんは毛足が長いのに寒がりで、夏以外はいつも洋服を着せてやっていた。
わたしが実家を出てからは、アパートの近くにある犬の洋服を手作りしている店で買って実家までお嬢さんの服を持って帰ったり、コロナで帰れない時は服だけ送っていた。
お嬢さんは体重が2キロもなかったので骨が残るのか心配だったが、意外ときちんと骨も爪も歯も残って驚いた。
「これが肋骨ですね」
そう言って指さされた骨はつまようじのような細さで、こんな細さの骨で動き回っていたとは信じられなかった。
お嬢さんの骨はマグカップくらいのサイズの骨壺に収められた。
祖母の骨壺は重くて運ぶのが大変だった記憶があるのに、お嬢さんはこんなに小さいんだなと、当たり前のことがやけに不思議に思えた。
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その帰省中の数日間で詠んだ歌
一匹と一人の減った実家にて残された母が鮭を焼く朝
つまようじのごとき細さの骨を持つこのか弱き犬が我を支えた
茶碗下げ、犬の餌皿出そうとし、
「あ、そっか、もう、いないんだ」