河原町星屑通東潜ル

短歌とエッセイ。Twitter https://mobile.twitter.com/moeori

帰省と餃子

 

帰省する度に餃子を包んでる義父の背中のある台所

 

#tanka #短歌

 

義実家に帰省すると決まって餃子が出てくる。

餃子はお義父さんの得意料理かつわたしの好物なので、あちらのお家に行くことになると毎回作ってくれる。

 

夫の実家とわたしの実家は電車と徒歩で1時間程度の距離だ。

どちらに泊まっても移動に必要な時間には大差はない。

それでもわたしは自分の実家ではなく夫の実家に泊めてもらう。

 

わたしと実父との関係は「父親」という単語に嫌悪感を感じるくらいには悪かった。

なんなら「家族」という単語も気持ちが悪い。

そんなわたしにできたもう一人の「父親」と新しい「家族」。

 

帰省途中の駅で携帯が震えた。

「こいしさん餃子好きだよね?お父さんが餃子作って待ってるよ」

お義母さんからのメッセージを確認して頬が緩むのを感じつつ、電車を降りた。

 

わたしは新しい家族が好きだ。

窓の向こう。

 

病院帰りの電車内。

前の座席に座る人たちも、左右に座る人もみんなスマホをいじっている。

 

わたしは電車やバスから外の景色を眺めるのが好きだ。

それはわたしがまだこの街に来たばかりの他所者だからかもしれない。

 

ここ5年ほど、実家を離れてから、ずっと他所者気分で暮らしている。

夫が転勤の多い職場だったこともあり、どの街に行っても、いつかは離れる場所と思っていた。

目の前に広がる風景は、見慣れない景色で、いつかは見られなくなる景色。

そう思うと窓の向こうの街並みが何故か見ておくべきもののように感じる。

 

今日もそんな気分でなんとなく電車の窓の外を眺めていた。

大きな駅の近くのビル街を抜けると、隠れていた夕日が差し込んでくる。

眩しさに一瞬細めた目が、見慣れないものを見つけてピントを合わせる。

スマホを触る人たちの後ろには、夕日を受けて虹色に光る雲が浮かんでいた。

彩雲だ。

 

他の人はこれに気づいているだろうかと、車内を見渡しても、誰も彼も手元を覗き込んでいて、窓の向こうの景色など見ていない。

手元の小さな世界と、その後ろにある大きな世界。

なんだかもったいないような気分と、人間の視野の狭さを感じつつ、わたしは彩雲が車窓から見えなくなるまで外を眺めていた。

 

 

発熱テンション。

 

熱を出すとテンションがあがるタイプの人間を自分の他に知らないのだけれど、わたしはそういうタイプなのです。

 

微熱程度だと普段より若干テンションが高くなります。

(頭痛などはあるのですが、頭痛は頻繁にあるので無視してます)

 

今日も微熱ですが、本読んだり勉強したりやりたいことをしていたら、しんどくなってきました。

 

だいたい平熱+1℃を超えると限界がきますね。

(平熱高め)

 

そして熱のテンションでできあがった文章やつぶやきは後で見直すとたいていろくでもないんですよ……。

「夏なんか」

#短歌 #tanka

 

「夏なんか嫌いだよ」って嘘を吐くことも含めて夏を味わう

 

*

 

夏が嫌いだ。

暑い。汗をかく。日に焼ける。etc…

冬のほうがわたしにはずっと好ましい季節だ。

 

でも「夏なんか嫌い」と言っている瞬間が一番強く夏を感じてしまう。

そのことに何となく悔しいような、してやられたような感覚を得る。

 

暑い、と思いながら額の汗をぬぐう。

熱くなってしまった息を少し吐いて、空を見る。

低い位置に真っ白い入道雲

その上には他の季節よりも濃い青が広がる。

少し眉をしかめて、

(夏なんか嫌いだ)

と思う。

だが、その青に、暑さに、他のどの季節よりも「生きている」と感じる。

 

なんとなく認めたくない気分になって、声に出す。

 

「夏なんか嫌いだ」

 

太陽から逃げるようにわたしは日陰を目指した。

 

 

バニラビーンズシュガー

半月前、プリンを作ったときにバニラビーンズが余った。

買ってきたときに入っていたジッパー付きの袋にそのまま余りをしまおうとしたら、夫が

「バニラビーンズは砂糖と一緒に瓶に入れておくと湿気らないし、砂糖に香りがつくよ」

と言うので、空き瓶にバニラビーンズとグラニュー糖を入れておいた。

 

今朝、エアコンで冷えたので久々に熱い紅茶を入れた。

今朝の紅茶はニルギリ。

寝起きで頭が動いていない感じがしたので、砂糖を入れようとして、バニラビーンズを入れたグラニュー糖の存在を思い出した。

 

瓶の蓋をあけると、バニラの甘い香りがする。

せっかくなので、最近買った可愛い透明なガラスのカップと、クチポールのティースプーンを使うことにした。

3分かけて紅茶を淹れて、砂糖を入れる。

瓶をあけたときの香りよりはずっと弱いものの、紅茶にもほんのりバニラの香りがうつっている。

 

砂糖を変えただけで、なんとなく朝から幸せな気分になった。

 

 

犬のこと。

4月末に実家の犬が死んでしまった。

11歳半だった。

 

お嬢さん(わたしは実家の犬をこう呼んでいた)は、病気がちで毎日4種類以上の薬を飲んでいたし、実家に帰るたびに小さく細くなっている気がしていた。

でも、なんとなく、まだ生きるだろうまだ生きるだろう、そう思って(そう思い込もうとして)(あるいはそう祈って)、5月に予定していた引っ越しもペット可のアパートを借りた。

実家の母に何かあったら犬を連れてこよう、そう思ってペット可の賃貸を探し回った。

 

実家の犬が死んだという知らせから2時間後の新幹線に乗った。

最速で実家には夕方5時には着くはずだった。

しかし、新幹線が異臭騒ぎで途中で運休になってしまった。

軽井沢で新幹線から降ろされ、次の新幹線に乗ったが、当然ながら席はないので、デッキでキャリーバッグに腰掛け、ただぼんやりと何も考えないように窓の外を見ていた。

東京駅には1時間半以上の遅れで到着。

中央線も人身事故でダイヤが乱れていた。

なんとか乗り継ぎを重ね実家の最寄りに着くころには、空は真っ暗になっていた。

 

実家に帰ると、いつも犬が寝ていた犬用ベッドの置いてあったあたりに段ボールがおいてあった。

段ボールには白い布。

それを外すと、お嬢さんが横たわっていた。

お嬢さんは目が大きな犬種だったので、うまく瞳を閉じてやることができなかったらしく真っ黒いビー玉のような目が見えた。

お嬢さんの頭を撫でるとひんやりとしていて、その冷たさでお嬢さんが死んだということが現実として降ってきたような感覚になった。

 

お嬢さんは翌日ペット斎場で火葬になった。

身体が硬直していたので、最期に着ていた服もそのままで炉に入っていった。

お嬢さんは毛足が長いのに寒がりで、夏以外はいつも洋服を着せてやっていた。

わたしが実家を出てからは、アパートの近くにある犬の洋服を手作りしている店で買って実家までお嬢さんの服を持って帰ったり、コロナで帰れない時は服だけ送っていた。

お嬢さんは体重が2キロもなかったので骨が残るのか心配だったが、意外ときちんと骨も爪も歯も残って驚いた。

「これが肋骨ですね」

そう言って指さされた骨はつまようじのような細さで、こんな細さの骨で動き回っていたとは信じられなかった。

 

お嬢さんの骨はマグカップくらいのサイズの骨壺に収められた。

祖母の骨壺は重くて運ぶのが大変だった記憶があるのに、お嬢さんはこんなに小さいんだなと、当たり前のことがやけに不思議に思えた。

 

 

 

その帰省中の数日間で詠んだ歌

 

一匹と一人の減った実家にて残された母が鮭を焼く朝

 

つまようじのごとき細さの骨を持つこのか弱き犬が我を支えた

 

茶碗下げ、犬の餌皿出そうとし、

「あ、そっか、もう、いないんだ」